杉並ユネスコ協会
ユネスコ運動の日2013
講演会「激変するミャンマー情勢の実相」
講師 山口洋一氏(元駐ミャンマー特命全権大使)
2013年7月20日(土)セシオン杉並 視聴覚室

会場全景山口洋一氏

●講演内容(抜粋)

1.民政移管に伴う情勢の急変

(1)政治体制の抜本的刷新

   連邦議会が機能し始めるのは50年ぶりのことである。ミャンマーは135の民族からなる多民族国家であり、一番大切なのは、人口の69%をしめるビルマ族と他の少数民族が一つの国として、国の営みに参加することである。歴代の王朝が一番苦心したのが、ビルマ族と少数民族を束ねて一つの国としてまとめていくことである。

   19世紀にイギリスの植民地になったが、イギリスの統治は分割統治であり、少数民族と多数民族の確執をあおった。少数民族はイギリスによって、優遇されて、兵士、中間層の官僚、巡査となり、ビルマ族は、最下層の百姓、労働者しかなれなかった。ビルマ族にとっては、イギリスによって過酷な統治が行われた。少数民族は植民地政策の受益者となり、ビルマ族と少数民族の確執がさらに増幅された。これを一つの国としてまとめるは容易なことではない。

   和平で大切なのは、少数民族とビルマ族、あるいは少数民族相互間の国家意識を統一することである。少数民族もビルマ族との確執だけに関心をもってきたが、連邦議会の審議を通して他の民族も同じ問題があるとわかってきて、相互理解が醸成された。連邦議会が機能し、力を合わせてこの国をまとめていこうという機運が盛り上がってきた。国民にも情報が広がり、国民に一体感が生じた。

   国会は軍の出身が25%をしめている。欧米は軍は政治にしがみついて政治を動かしていると非難していたが、軍人は自分の良識で行動し、軍は指令を出して、政治を動かそうとしているわけではない。ミャンマーでは一番優秀な若者は士官学校に行く。人材を考えて議会に送り込んでいる結果である。

   連邦議会は4月に補欠選挙があり、45議席のうち43議席がアウン・サン・スー・チーのNLDの議員が獲得をした。選挙の透明性が確保されていることが理解される。欧米はまやかしの民政移管と言うが、ミャンマーの人達はいずれは自分たちも民主制度をめざすが、そのプロセスはミャンマーに合ったやり方で行うと考えている。1948年イギリスから独立をしたウ・ヌー政権がイギリスのまねをして、議会政治をしたが成熟に達しなかった。ミャンマーは最終的には民主主義をめざす、「踊り場の民主主義」といえる。

(2)規制の緩和・撤廃による自由化の進展

〈言論の自由〉自由な発言ができ、去年の8月8日検閲を全廃した。

〈労働組合〉ICCミャンマー代表が絶賛するほどの自由な組合結成と活動ができるようになった。労働団体法ができた。

〈政治犯の釈放〉おおむね釈放された。

〈経済面での自由化〉規制があったのが、自由な活動ができるようにした。公式レートもIMFと協力して、一本化し完備された。現在1ドル890チャットで安定している。郵便・電信公社の民営化の作業をしている。

(3)少数民族との和解

   少数民族とビルマ族の確執が一番の問題。現在は和解が進み、好ましい状態が進んでいる。

(4)2014年にはASEAN議長国就任

   1997年アセアンに加盟し、前回議長の順番が回ってきたときには、辞退をしたが、今回2014年にアセアン議長国の就任が決定した。

(5)軌道修正しつつある西側各国の対ミャンマー政策

   めまぐるしい動きで進展している。軍事政権時代には厳しい制裁を課してきた西側各国は、政策を軌道修正し大幅に変更している。殊に日本は関係が顕著で、5000億円あった累積債務をなくし、新規の借款と無償資金援助を申し出た。資金援助は総額910億円となり、試算するとミャンマー国民1人あたり8000円を差し上げ、日本人1人4400円をミャンマーに提供していることになる。日本は欧米に先駆けて援助を再開した。ミャンマーの人たちは本来あるべき国に戻ることができ、喜ばしいことと受け止めている。

2.歴史の中に見出される真の姿は、「独立自尊の意気盛んな自由で平等の国」

(1)横溢する独立自尊の気概

   これまでマスコミの報道を信じていた人は、逆のことを言っていると感じるが、ミャンマーは「自由平等の国」である。ビルマ族はチベット人と同じ民族で、紀元前2世紀にはチベットは漢民族から脅かされていた。そこで独立自尊の意気盛んな人たちがチベットから苦難を乗り越えてビルマの国に移動し、新たな土地を自分たちの新しい国とした。ビルマは中国やインドという大国から侵略をされたり、シャム王国と何回も戦いがあったが、その度に押し返した。例外は蒙古襲来で、バガンが墜ちたがフビライ軍は統治をせずにひきあげた。イギリスが植民地化するために3回の英麺戦争をし、1985年に全土を植民地化した。1948年に独立をしたが、他の国は英連邦の国として独立したなかで、ミャンマーは英連邦に入ることを拒否した。植民地で英連邦に入っていないのはミャンマーだけである。

(2)自由・平等・人権尊重の社会

   階級の差がない。男女平等、個人主義を特徴とする家族。

3.生活に溶け込んだ仏教

   90%が仏教、信心深く仏教の五戒を身につける。

4.日本とミャンマー

(1)無類の親日国
(2)親日感情の由来
(3)今後のミャンマーと日本の対ミャンマー外交

(朝倉洋子)