杉並ユネスコ協会
ユネスコのつどい/教育フォーラム ユネスコ・ギャラリーツアー
「富士山と世界遺産 ―信仰の対象と芸術の源泉 日本人の心をだどる旅」
2015年11月2日(月) 7:30〜18:30
参加者 一般35名 会員・理事13名 計48名

紅葉

   平成27年度のユネスコ・ギャラリーツアー(杉並ユネスコ協会主催、杉並区教育委員会共催)は、2015年11月2日(月)貸切バス1台に乗り日帰りで富士山を訪ねました。

   「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」・・・これは、よくご存知の「ユネスコ憲章前文」冒頭の一節です。

   前文は続きます。「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」

   ・・・相手の文化や風習、歴史を知ること、それを大切にすること、世界遺産運動もその一翼にあり、「ユネスコ・ギャラリーツアー」も、その考え方に企画の一端があります。

富士山

   ところで、今回は富士山を訪ねましたが、なぜ外国の文化ではなくて、富士山なのでしょうか。

   それは、相手に自分たち(日本人)のことを説明する時のためにも、まずは自分たちのことをよく知ってみよう、と考えたからです。

   ご存知の通り富士山は、世界遺産のうちの「自然遺産」としてではなく「文化遺産」として認められ登録されました。

   その登録名に「信仰の対象と芸術の源泉」とあるように、富士山は古来より日本人と密接な関係があり、人々は富士山から大きな影響を受けてきました。

   本企画は事業部担当者が中心となり、ほぼ1年前から構想を練り始め、文献を何冊も調べ、現地調査や交渉を行い、どのようにしたら今回のねらい=日本人の心をたどる旅ができるのか、を組み立てていきました。

   富士山の世界遺産は、25の構成資産(うちひとつは9つの要素を含む)が対象となっています。

   まず、ツアーで訪ね1日で回りきれる範囲として、構成資産が比較的集まっている山梨県富士吉田周辺に注目しました。

●ツアーの行程

・荻窪 杉並公会堂 出発(バス 車内研修あり)

・富士ビジターセンター(館内講師による世界遺産「富士山」講座の聴講)

・北口本宮冨士浅間神社(現地ガイドの説明を聞きながら境内散策)

・山中湖畔で昼食(山梨名物「ほうとう」)

・忍野八海(徒歩で自由散策)

・ふじさんミュージアム(館内ガイドの説明を聞きながら見学)

・御師旧外川家住宅(館内ガイドの説明を聞きながら見学)

・荻窪 杉並公会堂 到着

●ツアーの様子

   ツアーの最初の訪問地は、同地にある「県立富士ビジターセンター」です。ここは富士山とそれを取り巻く自然の歴史的な成長、および人との関わり合いが展示されています。

   ここの研修室をお借りして、山梨県から小池正幸講師に来ていただき「世界遺産『富士山』出前講座」を行いました。

   映像を使ったほぼ1時間の講座で、富士山の生い立ち・自然から、人々の信仰や芸術に及ぼした影響に至るまで、広範囲の知識をいただきました。

出前講座

   次に訪ねた「北口本宮冨士浅間神社(せんげんじんじゃ)」では、30分の現地ガイドツアーを行いました。

   ここは、日本武尊(やまとたけるのみこと)に由来し1900余年の由緒を持つ神社です。過去にいく度も噴火した火の山「富士山」への人々の畏敬の念が歴史に刻まれています。

   またここは富士吉田登山道の登山門でもあります。江戸時代に流行した「富士講」では、人々はこの門前の御師宿坊に一泊し、翌日神社に参拝して、この門から山頂を目指しました。

鳥居 境内1 境内2

   昼食は山中湖畔で、山梨名物「ほうとう」(左下の写真)をいただきました。

   山中湖も構成資産の一つですが、かつて富士登山を目指した人々と「水」とは、切っても切れない関係があります。それは禊(みそぎ)の場所としてです。

   この次に訪ねる「忍野八海(おしのはっかい)」(右下の写真)もやはりそうで、今では景観のよい観光地として賑わっていますが、かつて人々は富士山から湧き出るこの清水に身を清め、富士山頂を目指しました。

ほうとう 食事風景 忍野八海

   富士吉田市歴史民俗博物館は、平成27年4月に「ふじさんミュージアム」としてリニューアル・オープンしました。

   人はなぜ富士山に登るのか、富士山信仰の起源と変遷・・・等々ここは人と富士山との関係にスポットをあてた展示、特に富士講の展示が豊富です(左下の写真)。専属ガイドによる30分の館内ツアーと自由見学を行いました。

   最後に訪ねたのは「御師旧外川家住宅」です。江戸時代の最盛期には80件以上あった御師住宅も残っているのは数件のみ。うち2件(いずれも宿泊はできません)は構成資産に含まれ、常時内部が公開されているのはここだけです。

   専属ガイドに中を隈なく案内していただき、当時のことを伺いながら、30分の予定が超過してあっという間に過ぎ去りました(中央と右下の写真)。

神輿 ガイド 御師住宅

   今回のツアー、申込みは満杯でした。当日朝は強めの雨で開催も危惧しましたが、当日キャンセルはわずかに一組のみ、人気の高さが伺われました。

   雄大で美しい姿に思わず手を合わせたくなる富士山、かつては火を噴き人々から恐れられた富士山。

   富士山のことを調べているうちに、やはり私も日本人だったのか、と改めて気づかされたものです。

   強行軍でしたが、参加者からは、富士山のことを深く知ることができた、盛り沢山でとても充実した有意義なものだった、等々ご感想をいただきました。

   関係諸氏に感謝いたします。

集合写真

●参考文献のうち特に役立ったもの

   小田全宏(NPO法人 富士山を世界遺産にする国民会議)『なぜ富士山は世界遺産になったのか』(PHP研究所、2013年)

   島田裕巳(宗教学者)『日本人はなぜ富士山を求めるのか ―富士講と山岳信仰の原点』(徳間書店、2013年)

(井原太一)