「韮山と鉄の歩み ― 日本人と製鉄の歴史、世界とのかかわり」
2016年11月7日(月) 7:30〜19:00
近年は年に一回開催している「ユネスコ・ギャラリーツアー」ですが、ひとつのツアーを実施するために、立案・企画から運営・実施にいたるまで、担当者は知恵を出し合いほぼ一年間にわたり準備を行います。
というのは、このツアーが単なる物見遊山の日帰りバスツアーではなく、そのようなツアーは一般の旅行社でも数多く行っていますが、これはユネスコ協会が行うユネスコ憲章の精神に基づいて毎回じっくりと企画、内容を組み立てているものなので、事前調査を含め準備に日数がかかってしまうからです。
ではここで言うユネスコのツアーとは何でしょうか。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」
これは、ユネスコ憲章前文の一部ですが、ユネスコが世界遺産を登録しそれを守ろうとすることも、国境を越えて、お互いがお互いの文化や習慣を知り、尊重し、理解しあって行こう、そこから平和が始まるという考えに基づいていると思います。
その観点から、ひとつのテーマや訪問地が決まった時、そこから日本や世界の文化、歴史、人物などを掘り下げ、探り、知るツアーにする、この数年はそのように企画をずっと作っています。
そこで今回のギャラリーツアーですが、世界遺産である「韮山反射炉」の見学を柱に、「鉄」をキーワードにしながら、人と鉄、製鉄の歴史、日本と世界とのかかわりなどを探る5つの講座(旅)から一日の行程を作り上げました。
ユネスコ基礎講座、現代の製鉄所の見学、鉄を知る講座、江戸末期の韮山反射炉の見学、江川邸(韮山反射炉の提唱者)の見学の5つです。
それでは、この順を追って、ツアーを振り返ってみましょう。
実施日は2016年11月7日(月)、参加者は一般区民・ユネスコ会員・スタッフあわせて35名、朝7時半過ぎにバス1台で杉並公会堂前を出発しました。
バスで一息ついたあと、さっそく車中で「第1講座」としてユネスコの話を約15分間行いました。
講師は当協会の朝倉洋子会長で、国連ユネスコの発祥と歴史、日本での民間ユネスコ運動、そして本誌でも紹介されている杉並ユネスコ協会の活動について、紹介をさせていただきました。
つぎに「第2講座」は川崎の埋め立て地にあるJFEスチール東日本製鉄所<京浜地区>の工場見学です。
約2時間の行程で、まず職員から工場の概要についてスライドを使った説明を受け、バスに乗って車中から広い敷地内を製鉄の工程順に見てまわりました。
つぎに工場の中に入り、転炉で鉄が溶かされる様子を間近に見学、それから圧延工程つまり溶けた鉄を長方形に型取り、これを金属ローラーが敷き詰められた何百メートルも延々と続くレールの上を走らせながら、途中で何度も引き伸ば(圧延)し板にして行く工程を見学しました。いずれも迫力満点でした。
参加者を歓迎するスライド
工場の概要説明
説明を聞く参加者
「第3講座」は伊豆に向かう長い道中を利用して、車中で行いました。
約20分間ですが、講師は小生が担当し、鉄について、製鉄の歴史、人とのかかわり、世界の関係などについて、今回のツアーで訪れる見学先を点で終わらせず、線と面につなぎ合わせるための話をしました。
鉄は実に不思議で便利な金属です。地球の中心にあり、世界中のどこでも産出され、硬軟の強さと磁性を持ち、建設、交通、発電、生活、生命維持など様々な分野で必要な金属です。
人は紀元前はるか昔に鉄と出会い、武器として、農器具として、産業の基盤として、人の歴史と共に鉄はありました。
東西の製鉄技術の推移も、歴史と大きなかかわりがありました。
「第4講座」はいよいよ世界遺産・韮山反射炉の見学です。
反射炉を前に、現地ガイドボランティアさんから約20分の説明を受け、その後自由見学を行いました。
アヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍(坦庵)は海防政策の一つとして、大砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議したのが始まりで、はじめ江戸幕府はなかなか聞き入れませんでしたが、黒船来航を受けて幕府直営の反射炉として築造が決定されたものです。
働き過ぎ?で病死した英龍の後を継ぎ、その子英敏が完成させました。
優良な鉄を生産するために千数百度の高温で鉄を溶かすことを可能にした、当時としては最先端の技術でした。
ガイドさんのお話
江川英龍の石像
韮山反射炉
「第5講座」は、幕府直轄領を治めた韮山代官所の江川英龍役宅を訪ねました。
現地ガイドさんが熱心に語ってくださいました。
代官としての英龍は、施政の公正に勤め、二宮尊徳を招聘して農地を改良するなど良く治め、領民は彼を「世直し江川大明神」と呼んで敬愛したとのこと。
蘭学を学び、海防・西洋砲術にも通じ幕府に建議し、韮山塾を開いて後進の指導にもあたりました。
世界に紹介できる、日本の先賢の姿をここに見ました。
江川邸の入口
江川邸の内部
当時の駕籠
朝から日暮れまで、途中いささか強行軍のツアーでしたが、参加者からは「製鉄について初めてたくさんのことを知りました」「鉄の歴史や日本人と鉄との関係が学べてよかった」「普段見られない製鉄工場の加工プロセスが見学でき良かった」「これからも、こういうようなギャラリーツアーはやってほしいです」などの感想をいただきました。
ご協力いただいた関係諸氏・機関には感謝申し上げます。
(井原太一)