「深大寺国宝『白鳳仏』拝観と彫刻家 橋本堅太郎氏のお話を聞く」
2017年11月15日(水) 10:30〜14:00
2017年度のユネスコ・ギャラリーツアーは「深大寺国宝『白鳳仏』拝観と彫刻家 橋本堅太郎氏のお話を聞く」で、調布市の深大寺に出かけました。
紅葉見物にはちょっと早い11月15日、深大寺観光案内所に集合し52人の参加者が4組に分かれ、ボランティアガイドさんから説明を聞きながら境内を見学しました。
昼食後、第2部として文化功労者である彫刻家の橋本堅太郎氏から、仏教美術や白鳳仏の特徴などについて詳しいお話を伺いました。
【第1部 境内見学と白鳳仏拝観】
深大寺は奈良時代・天平5年(733)に水の神である「深沙大王(じんじゃだいおう)」をまつるため開かれ、深沙大王をまつる寺ということから「深大寺」という名前になったとのことです。
満功上人が法相宗の寺院として開山したといわれ、平安時代に天台宗に改まり元三大師(がんざんだいし)像が安置されました。
江戸時代には50石の朱印地を与えられ、多摩川流域に多くの末寺を擁するようになり、大師の縁日に沢山の人々が参拝したそうです。
参道を進むと一段高い寺の敷地に山門が見えます。慶応元年(1865)の大火からまぬがれた、深大寺で最も古い建築物です。
屋根は切妻の茅葺きで、屋根の棟札には元禄8年(1695)に千人の寄進者により普請が行われたと記されています。
常香桜も大火からまぬがれましたが、火災の痕跡が梁に黒くみられます。
鐘楼は慶応の大火の後、明治3年(1870)に再建されました。
梵鐘(永和2年(1376)鋳造で重要文化財)は平成12年にひび割れが見つかるまで600年間現役を続け、今は釈迦堂内に保存されています。
現在吊られている鐘は平成13年に鋳造された平成新鐘と呼ばれる梵鐘で、毎日3回鐘つきが行われていますが、大晦日には除夜の鐘を撞く人で大いに賑わいます。
山門
鐘楼の梵鐘
本堂は慶応の大火後、大正時代に再建。
安置されている宝冠阿弥陀如来像は、頭部に宝冠を戴くもので、天台密教で用いる金剛界曼荼羅に描かれている特徴的なお姿をした貴重な像です。
元三大師堂は深大寺の厄除け信仰の中心として、大火後の慶応3年(1867)にいち早く再建されました。
本堂に先立ち復興されたことは、厄除け元三大師が多くの信仰を集めていたことを物語っています。
釈迦堂は銅像釈迦如来倚像(どうぞうしゃかにょらいいぞう)を安置する堂宇として昭和51年に新築され、平成26年に一部改修されました。湿気の多い土地であることを考慮して高床式に建てられています。
御本尊の銅像釈迦如来倚像(白鳳仏)は東日本最古の国宝仏です。7世紀後半の白鳳期につくられたと推定され、明治42年(1909)に元三大師堂の壇下から発見されました。
顔立ちや流麗な衣、若々しい青年を思わせる肉付けなど白鳳仏の特徴をよく伝える貴重な倚像(椅子に腰かけたポーズの像)です。
作風が近似する法隆寺の夢違観音(国宝)や新薬師寺の香薬師像(重要文化財)と同じ工房で鋳造された可能性が指摘されています。
釈迦堂
白鳳仏
深大寺そばは江戸時代、この地は米の生産に向かなかったため、領民はそばを作って寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが始まりと伝えられています。
参道のいたるところに水路や池があり、蛍も生息する水と緑豊かな風情ある環境は多くの俳人や歌人に愛され、境内には有名な俳人・歌人の句碑・歌碑もあります。
また、門前には水木しげるの「鬼太郎茶屋」があります。
最初不思議に思えたこの茶屋の存在も、彼の作品の底に流れる「自然との共存」が、人や妖怪だけでなく鳥や動物や虫たちなど、地球上に住む全ての生き物との共存だと理解すれば違和感がなくなります。
自然豊かな境内
鬼太郎茶屋
このギャラリーツアーが企画された後の2017年9月に国宝に指定された銅像釈迦如来倚像は、白鳳仏の代表である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師像)と兵庫県鶴林寺聖観音立像の身代わり像であり、今回「深大寺白鳳仏・国宝指定記念 白鳳仏三体展示特別企画」により三体並ばれたお姿を一度に見ることが出来たのは、大変幸運でした。
左から鶴林寺聖観音、深大寺釈迦如来倚像、新薬師寺香薬師
【第2部 橋本堅太郎氏の講演】
深大寺山門前のそば屋「鈴や」の2階で、橋本堅太郎先生に美術の歴史、仏像の見方、深大寺の白鳳仏などに関するお話をしていただきました。
わかりやすい解説に参加者一同大満足。時々笑い声もあがり、和やかでアットホームな雰囲気の講演会でした。
まず美術の流れについて、アルカイック、グラフィック、バロックの三段階とその特徴など例を挙げて解説していただきました。
空間に構成された美しさがある平等院・鳳凰堂と東照宮との比較、深大寺の白鳳仏と他の仏像との比較、寺院との関連などの解説がありました。
深大寺の白鳳仏については、具体的に解説を聞くことにより、深大寺の白鳳仏が国宝になった所以を理解することができました。
関東地区の白鳳仏は、深大寺と成田の龍覚寺だけにあり、深大寺は非常に重要なお寺であると言えます。
白鳳仏は、作り方を見ると西の都で作られたものと思われ、深大寺創立よりも古いが、深大寺に安置された経過は不明であるとのこと。
指が2本欠けて池の中から発見されたことからも、歴史を辿ると苦労してこの世の中に出てきた仏ということでした。
明治時代の廃仏毀釈により、池に投げ込まれたとも考えられるそうです。
白鳳仏の顔には、アルカイックスマイルという微笑みがあり、自然のやわらかさ、優しさを備え、一見近寄りがたい崇高な仏像ですが、厳しさを秘めながらも拝む者の胸の中に微笑みを突き通すように入り込む力のある仏像とのことです。
橋本堅太郎先生
白鳳仏の特徴について説明
白鳳仏が受難に遇いながら現在に至った経過に触れ、「我々も生きているうちにいろいろな困難があるが、困難を乗り越えて微笑みを浮かべながら生きていきたいと思いますが、生きていくということはそれほど簡単ではありません。私も彫刻家として、いろいろ苦しいこともありましたが、そのようなことを心にきざみながら仏さんを見ていきたいと思います。深大寺に来ると心が和らぎます。大変なつかしい仏像の1つです。」という言葉が印象的でした。
橋本先生が、初めて深大寺を訪れたときは、昭和25、6年の頃で、周辺に家もなかったそうです。
東京にこんないい仏像があるとは関東もすてたものではないと思われたとのことで、私たちもその頃の辺鄙な深大寺周辺の風景に思いを巡らせました。
そして、飛鳥時代、白鳳時代、天平時代の仏像の特徴を、法隆寺の百濟観音・救世観音、興福寺の阿修羅像・日光菩薩・月光菩薩などの写真を見ながらの解説をしていただきました。
深大寺の白鳳仏を何度も見ると、見方が違ってくるというお話を伺い、これからも深大寺を訪れたいという気持ちを強く持ちました。
お忙しいなか貴重な講演をしてくださった橋本堅太郎先生のお蔭で、充実した深大寺ギャラリーツアーを開催でき感謝しております。
●参加者の感想
・内容がとてもよかった。温かい会だった。
・講師の話が面白くわかりやすかった。もっと聞きたかった。
・ユネスコの方の手作り感満載の行事でよかった。
・スタッフに優しくしていただき嬉しかった。
(第1部:大野克子、第2部:朝倉洋子)