「恐竜博士あつまれー!」 in 第4回すぎなみサイエンスフェスタ
講師 富田 京一 氏(肉食爬虫類研究所所長)
2019年3月3日(日) セシオン杉並 参加者 83名
3月3日(日)にセシオン杉並でユネスコ親子科学教室が開催されました。
肉食爬虫類研究所所長の富田京一さんに恐竜の魅力について説明していただきました。
まず内容のさわりとして…
恐竜にはもともと羽毛があった!?
1996年以来、中国の遼寧(りょうねい)省を中心に、羽毛のあとが残った恐竜化石がぞくぞくと発見されています。
最初に羽毛が見つかったのはシノサウロプテリクスというカラスほどの大きさの恐竜で、遼寧省の白亜紀前期(約1億2500万年前)の地層から発見され、翌年に羽毛が確認されました。
この発見がきっかけとなり、遼寧省では羽毛恐竜の化石が続々と発見されています。
羽毛恐竜の化石がその地域で集中的に見つかったことには、いくつかの幸運が作用しています。
当時この一帯に大きな火山があり、火砕流や火山灰によって恐竜が一気にのまれてしまい、死がいが傷まずにすんだこと。
動物の死がいを食べる哺乳類や昆虫なども恐竜といっしょに死んでしまったため、化石が食い荒らされるすきもなかったこと。
そしてきめの細かい火山灰によって埋もれたため、羽毛などの繊細なつくりがすっかり残ったこと、などがそれにあたります。
卵どろぼうから一転「イクメン恐竜」に
白亜紀後期に生きていたオヴィラプトルは、見るからに鳥のような体型と、個体によってはヒクイドリのように著しく発達したトサカが特徴の獣脚(じゅうきゃく)類です
この恐竜の化石は1920年代のはじめ、卵の上に乗ったような状態で発見されました。
卵を産んだのは近くで暮らしていたプロトケラトプスという角竜だと思われたので、オヴィラプトルは恐竜の卵を盗んで食べるという、いっぷう変わった食性の持ち主とみなされました。
そこで、この恐竜にギリシャ語で「卵+どろぼう」を意味するオヴィラプトルという名前を付けたのです。
ところが1990年代に入って、ずっとプロトケラトプスのものと思われていた卵の中から、オヴィラプトルの胎児(まだふ化していない赤ちゃん)の化石が見つかりました。
オヴィラプトルの卵泥棒説は、とんだぬれ衣だったようです。
オヴィラプトルの胎児の化石の発見と相次いで、砂嵐のような災害から卵を守ろうとしてともに死んでしまったオヴィラプトルの化石や、翼を広げて巣の上に座り込み、卵を温めている状態で化石化した近縁の種類も見つかりました。
オヴィラプトルやその仲間たちは、腕に生えた長い風切羽(かざきりばね)などの羽毛を、自分を守るだけでなく、卵を日差しや寒さ、自然災害などから守るためにも用いていたのです。
また、オヴィラプトルの祖先にごく近い恐竜の胃袋には、大量の小石が含まれていました。これは「胃石」とよばれ、恐竜の場合は植物食の種類に特有のものです
オヴィラプトルのくちばしは、今ではかたい木の実を割るために用いられていたというのが現在の定説です。
こうして、オヴィラプトルは発見からおよそ70年ぶりにぬれ衣を晴らすことができましたが、ひとつ面白い事実も判明しました。
卵と一緒に化石化していたこれらの恐竜はすべてオス、つまり父親だったのです。
オヴィラプトルの家庭は「イクメン」だったわけですが、どうしてそんなことがわかったのでしょうか。
産卵期、鳥のメスは大腿骨(だいたいこつ)の内側に「骨髄骨(こつずいこつ)」を形成し、ここから卵の殻の原料となるカルシウムなどを送り出しています。
単体で死んでいたオヴィラプトルの中には、この骨髄骨がみられるものがありますが、卵と一緒に発見された化石からは確認できません。
哺乳類では父親が育児に参加する率は案外低く5%未満ですが、鳥では94%程度に達します。
父親が育児に積極的に参加するのも、鳥類と一部の恐竜に共通した特徴といえるでしょう。
もちろん、母親のオヴィラプトルが育児をさぼって遊んで暮らしたかというと、そうでもなかったと思います。
ある種のペンギンのように、卵を産んだ後は自分たち夫婦や、じきに生まれてくる赤ん坊の食料を探しに出かけていた可能性も高いのです。
当日、会場には展示品として恐竜の化石(骨、卵、フン、胃石など)が並べられ、またヒョウモンガメ、エリマキトカゲ、クシトゲオイグアナ、エジプトトゲオアガマも置かれました。
「恐竜博士あつまれー!」 というタイトルの通り、たくさんの元気なジュニア恐竜博士が集まり、質疑応答では小学生から専門用語がどんどん出て、富田先生もびっくりされるほどでした。
(山田正)