杉並ユネスコ協会
ユネスコのつどい2021
「平和を考えるバスツアー」
2021年11月24日(水) 参加者 26名

丸木美術館1

   11月24日(水)雲一つない秋晴れの日、杉並ユネスコ協会と杉並区教育委員会共催の一般事業として、2021年度最初の行事「平和を考えるバスツアー」が実施されました。

   コロナ禍ということで、26名の参加となり、コロナ対策をしながらの実施でした。訪ねる先は、東松山市の「原爆の図 丸木美術館」と「埼玉県平和資料館」の2カ所。

   往路の車中では、野村路子さんの紹介DVDを放映し、学習しながら丸木美術館に向かいました。

原爆の図 丸木美術館

   美術館到着後、岡村幸宣学芸員から、丸木美術館設立の経緯や丸木位里(いり)・俊(とし)ご夫妻の「原爆の図」への取り組みなどの解説をしていただきました。

   丸木美術館は、位里の故郷広島の太田川の風景に似た都幾川の畔に1967年に建てられました。

   位里の両親は、広島で爆心地から2.6kmに住んでいたために被爆をし、位里は3日後に広島に到着。その後、俊も広島に駆けつけ、救援活動に努めました。

   東京に戻った後に、2人で原爆の図を描きましたが、きのこ雲やドームは描かず、広島で見かけた人々を描きました。

   もっと悲惨だったという声もあったとのことですが、位里・俊は、生き残れなかった人々をきれいに描くことに心していたようです。

   原爆の図「幽霊」、「火」、「水」、「少年少女」など順番に岡村学芸員からの説明を受けながら鑑賞しました。

   第8部の「救出」の絵には、救援活動をする位里と俊が描かれています。そして原爆の図の第9部と第10部は、アメリカの水爆実験によるビキニ被爆の絵、第13部は、被爆した米兵捕虜の死と続きます。

   1階の展示室には、「南京大虐殺の図」、「アウシュビッツの図」、「水俣の図」、「水俣・原発・三里塚」の大きな4点の絵があり、世界の惨事の描写に圧倒されました。

   ご夫妻は、1975年にアウシュビッツ収容所を訪ね、1977年にアウシュビッツの絵を発表しました。

   生きることができなかったたくさんの人々が、この大きな絵(縦3.4m、横16.1m)の中で無念さを訴えています。やせ細った人々、子どもを抱く女性、列をなして並ぶ人など細かく描かれていました。

   原爆の図同様に衝撃を受ける絵は、見る人にメッセージを発信しています。

   また、今年は、丸木位里生誕120年にあたり、2022年1月30日まで位里特別展が開催されており、初期作品から晩年までの約30作品が展示されていました。

   そして、位里の母である丸木スマさんの絵の展示もあり、生き生きとした楽しい絵に心が和まされました。

丸木美術館2
丸木美術館の外観
丸木美術館3
丸木位里(右)・俊(左)ご夫妻
丸木美術館4
原爆の図の解説

埼玉県平和資料館

   午後からは、東松山市のこども動物公園に隣接する埼玉県平和資料館を訪れました(平成5年開館)。

   第二次世界大戦についての資料、疑似体験として防空壕や戦時下の教室もあり、平和学習ができる資料館となっています。

   見学後に、講堂で、野村路子さんから「テレジンの子どもたちが描いた絵」についての講演をしていただきました。

   なお、埼玉県平和資料館には、野村路子さんがチェコからいただいたテレジンの子どもたちが描いた絵の写真150点が保管されています。今回の講演会場に、絵の一部を展示し、絵を観ながらの講演でした。

   野村路子さんは、1989年にプラハを訪れた時に、偶然入った小さな博物館でテレジンの子どもたちが描いた絵に出会って、衝撃を受けたそうです。

   特にダビデの星をつけた人が首つりにされ、そばに泣き出しそうな男の子が描いてある絵から、その博物館に展示されている絵が、アウシュビッツ収容所に送られた子どもたちが描いた絵であることを知ったとのことです。

   それから30年間、野村さんは、テレジン収容所の子どもたちの絵を世の中の人々に紹介する活動を続けてこられました。

   テレジン強制収容所は1941~1945年に、西ヨーロッパのユダヤ人たちをアウシュビッツに移送する中継地となっていました。

   14万4000人のユダヤ人がテレジンに送られ、四分の一近い3万3000人がこの町で死亡し、8万8000人がアウシュビッツなどの収容所に送られました。

   1万5000人の子どもたちが恐怖の生活を経験し、生きながらえたのは、ほんの一握りの子どもたちでした。

   過酷な生活の中で、絵の教師だったフリードル・ディツカー先生は、子どもたちに絵を教え、子どもたちも絵を描くことにより、唯一喜びを感じることができたそうです。

   収容所に持ってきた紙がなくなると、大人たちはドイツ兵の事務所のゴミ箱から紙くずを集め画用紙を作り、絵の具がなくなると糸くずを使って絵を描きました。

   そして1枚1枚の絵には、子どもの名前と生年月日、アウシュビッツ収容所へ送られた日にちが描かれています(例えば「ヨセフ・ノヴァーク」、「1931年10月25日生まれ」、「1944年5月18日アウシュビッツへ」)。

   丸木位里さん・丸木俊さん・野村路子さんが発信しているメッセージを受け止め、平和な地球を保つために、知ること・行動することを痛感した、平和を考える1日でした。

平和資料館1
野村路子さん
平和資料館2
絵の前で当時の状況を語る
平和資料館3
絵から伝わる悲惨な歴史

参加者の感想

〈原爆の図について〉

●生で見る価値必須の大作に圧倒された。

●赤ちゃんも動物もしおれたヒマワリの花も美しく描いてくれた。心を打たれました。

●「大逆事件の絵」、「水俣の絵」にも感動した。世界の不平等・理不尽に対して声を上げる者を抹殺することを許さない姿勢は現代でも必要。

〈テレジンの子どもたちの絵について〉

●子どもたちの絵画の数々、野村さんの熱く、深く、温かいおもいに心打たれた。

●野村さんの話の最後に「一人でも子どもの名前を憶えていって」という言葉かけが心に残った。

●ショッキングな話もあったが知ってよかった。切なく悲しい話だけれど、伝えられるだけ伝えていこうと思う。

丸木美術館5

(朝倉洋子)